日記を気楽に書けない理由。

本日は、昼より同窓会の予定。
酒を飲まないつもりなので、暇つぶしに、ICレコーダーで記録を取ったり、
デジカメで写真をとったりしようと思ってその準備をする。

それで、ICレコーダのお試し録音。
オヤジと杏彩の馬鹿笑いを収録、再生すると、いやだなーとか言う杏彩
このICレコーダーでは、MP3ファイルには直接おちないことが、判明。

そう言えば、購入時に他のICレコーダーには何かMP3に関するお断り書きがあったような気が・・・
・・・・まあいろいろあるさ、ということ。



日記を気楽に書けない理由。
自分が自分に語る言葉が、ちゃんと機能していない。
ちゃんと機能していない、ということの主な原因は、目的の不明である。

何と無く面白いことを自分でやっているつもりでも、
結局、それが全体最適としての有機的システムになっていないために、
中途半端でおわってしまう。

TOMASA風に言えば「停滞くん」がやってきて、
ついには「停止くん」、「硬直くん」と言う流れで、
現象的には、「頭が痛い」と思いつつだらだらゲームなんかやって、いるわけだ。



dataを単にレコードしていくのと、
価値を創造していくシステムを構築し、試行錯誤していくのでは、
全然レベルが違う。単に記録だけをとっても、
何も生まれない。
言説空間を、仮定のレベルからでもどう構築化していくか、
という「意識化」のプロセスを経ないと、すべて平準化してしまうということ。